LOVE IN THE
AFTERNOON

PART 1


 世界には、たくさんの大都市があるが、パリほど恋のに似合う場所はない。街じゅういたるところで恋がささやかれている。
 恋の形には色々あり、幼い愛、情熱の愛、さわやかな愛、黄昏の愛。・・・そして。
 禁断の愛。
 パリ屈指の名門ホテル「ホテル・リッツ」のスウィート14では、まさに、禁断の愛がささやかれていた。
 6月の早朝、ホテル・リッツがよく見渡せる塔の上から、双眼鏡片手に、スウィート14の様子を覗っている一人の男がいる。男の名はチャーリー。素行調査を生業とする私立探偵である。
 彼の今回の依頼は浮気調査。依頼人のために、塔の上からスウィート14を一晩中見張っていた。時折、証拠となるべく写真を取るために、望遠付きカメラのシャッターを切っていく。 
「相変わらず、おさかんやなー。女子をとっかえ、ひっかえようやるわ。まぁ、あんさんのおかげでこの時期はかきいれ時やけどな」
 チャーリーはあきれ果てたようにため息をつくが、その顔はわずかに笑っている。
 実は、チャーリーが、スウィート14の様子を見るのは初めてではない。毎年6月になると、毎日のように張り込んでいる。なぜなら、この部屋を常宿とする富豪のアメリカ人がやってきて、必ず一度は、「禁断の愛」を交わすからだ。妻や恋人の不審な行動に、世の男たちは、腕利きと評判のチャーリーに依頼をすることが多くなる。今回も、御多分に漏れない。
 今回のケースは不倫。夫が1週間ロンドンに出張中、妻も毎晩リッツのスウィート14に出張していた。妻に浮気の疑いを持っていた夫からの依頼である。 チャーリ−がふとホテルの入り口に視線を落とすと、黒のワンピースを身に纏い、黒のベール付きの帽子を目深く被った長身の女性が、今まさに、ホテルから立ち去ろうとしていた。周りの様子をひどく気にしながら、足早に朝もやの中に消えてゆく。
「逃せへんでー」
 チャーリーは素早くカメラを手に取ると、何度もシャッターを押しつづける。その眼差しはどこか精悍だ。
 彼は、カメラのレンズを覗き込んだまま、スウィート14に目を向けると、カーテンの影から、背の高い男が女の様子を覗っているのがわかる。チャーリーは、チャンスとばかりに、何度もシャッターを切りつづける。
「相変わらず、おっとこまえやなぁ〜。男の俺でもくらくらくるわ。まぁ、オレほどの美青年ではないけどな」
 チャーリーは、感嘆する。
 男は、見るからに洗練されていた。背の高さも申し分なく、スリムだが、筋肉がしっかりとついている、均整の取れた体つきだった。胸も広く、女性なら一度は守ってほしくなる。着崩されたカッターシャツもよく似合い、官能的だ。ふわりとかきあげられた銀色の髪が、昇りたての朝日に反射しきらきらと輝き、まるでリングのように見える。
 女を見送り終わると、カーテンは不意に閉められた。これがチャーリーにとって、仕事終了の合図だ。
「さぁ、事務所に戻って現像や! 依頼人はんも来るし、今日も忙しなるわー」
 チャーリーは大きく伸びをすると、気合を入れてから、塔を後にした。



 チャーリーは、セーヌ川左岸に、事務所兼自宅の小さなアパルトマンを持っていた。そこに、コンセルバトワールでチェロを学ぶ妹、アンジェリークと、彼女のチェロと一緒に暮らしていた。
「ごめんください、どなたですか、私立探偵のチャーリーさんです。お入りください、有難う」
「もぉ、やめてよおにいちゃん!」
 チャーリーの妹アンジェリークは、半ばあきれながらも、くすくす笑って、兄を家へと向かい入れる。笑うたびに肩までの栗色の髪がゆれ、大きな蒼い瞳が茶目っ気たっぷりに輝く。
「朝ご飯にしようか?」
「ああ。早速やけど、お兄ちゃん写真現像せんとあかんさかい、暗室にコーヒー持って来てくれへんか?」
「うん」
 チャーリーは、そのまま暗室へと向かうと、昨晩から今朝にかけてとった写真を、次々に現像していった。チャーリーのカメラ技術はたいしたもので、プロよりもうまいぐらいだった。
「きれいに撮れてるわ」
 暗室の扉がやさしく叩かれる。アンジェリークだった。
「お兄ちゃん、コーヒー」
 片手でコーヒーの載せられたトレーを運びながら、アンジェリークはひょいと、兄の撮った写真を覗き込んだ。
 瞬間、アンジェリ−クは息を飲み、思わずトレーを落としそうになる。体には雷が落ちたような衝撃があり、武者震いがする。
「おっと、危ないなー、アンジェは」
 チャーリーは、慌ててトレーを受け止め、アンジェリークを見る。
 アンジェリークは、うっとりと大きな瞳を見開き、感嘆のため息をつきながら、写真に見入っている。放心しているといってもいいだろう。
「アンジェリーク、アンジェリーク!!!」
 兄の数度に渡る呼びかけに、アンジェリークはようやく我に還った。
「あっ、お兄ちゃん、どうしたの?」
「どうしたの? やないで、ぼけっとして」
「こんなかっこいい人、この世にいるんだ」
「まぁ、男前っちゅうのは認めるけど、女癖の悪い男や」
「ふ−ん・・・」
 アンジェリークは、穴があくかと思うほど写真を見つめる。
 写真の男は、完璧だった。情熱と焦燥が影を作る色違いの双瞳は、冷ややかさがにじみ出て、魅惑的だ。形のよい高い鼻梁、官能的な唇。それらを縁取るあごのラインも精悍だ。銀糸の髪は、朝日に弾かれ優美に映る。たった1枚の写真を見ただけで、アンジェリークはすっかり魅せられていた。
「ねぇ、この人の何調べてたの?」
 アンジェリークは興味深げに身を乗り出す。
「不倫や」
「道ならぬ恋! ねえ、公爵夫人とアルペンガイドの逃避行みたいな!?」
 アンジェリークの瞳はうっとりと輝き、その口調は夢を見ているようだ。その姿に、チャーリーは呆れ果てたようにため息をつく。
「事件簿を見たんかいな」
 チャーリーの厳しい視線に、彼女は首をすくめて見せる。
「見たらあかんってゆうたやろ?」
「ハーレクインロマンスよりロマンティックだわ! だって、公爵夫人は、彼のためにすべてを捨てたのよ!」
「雪の中で夫人探すのに、凍傷になりかけて、えらい目におおたわ」
「素敵じゃない! アルプスの雪の中で、二人は永遠に結ばれたのよ!」
 妹のアンジェリークは、年頃の娘らしく、うっとりと、恋焦がれるように熱く語ったが、チャーリーはあくまでクールだ。
「あれもすてきだった。若い未亡人に恋焦がれて還俗した、修道士!」
「あれは、修道士の秘伝の酒がほしかっただけや」
「ちょっと! おにいちゃんにはろロマンスが判らないの!?」
 兄の冷静な反応に、アンジェリークはとうとう癇癪を起こしてしまう。
「ほら、そこまでや、アンジェ。これから依頼人に会わないかんさかい、部屋に戻って学校行く準備でもしとき」
「学校は午後からよ」
「じゃあチェロの練習でもしとき。お兄ちゃんは忙しいんやから」
 アンジェリークは強引にチャーリーに押し切られ、自分の部屋に追いやられてしまった。
「仕方ないか、練習しよ」
 アンジェリ−クが練習をはじめると同時に、呼び鈴がなり、風采の上がらない男が事務所に入ってきた。
 彼はいかにも憂鬱そうにため息をつくと、チャーリーに進められるがままにソファに腰掛けた。深い深いため息が出る。
 アンジェリークはいても立ってもいられなくなり、事務所へと通じるドアの隙間から、様子を覗い始めた。
「早速やけど、この写真を見てくれはりますか?」
 チャーリーは、黒いドレスに、黒いレースのスストールを身に纏った女性の写真を差し出す。黒いベールがかかった帽子を被っているせいか、顔は窺い知れない。
「精一杯努力したのがこれですわ。奥様でっか?」
 チャーリーは、拡大鏡を男に差し出す。
「家内らしいが・・・」
「では、悪いニュースですわ」
 男は、ますます深いため息をつき、うなりだす。肩はがっくりと落ち、惨めに見える。
「これが10時の写真、11時、12時、1時、2時、3時、4時、5時、そして6時半」
 チャーリーは、まるでトランプでも切るかのように、次々にスウィート14を写した写真を示していく。そのたびに、男のうなりは大きくなる。
「・・で、相手の男はんが、めっさええ男でんねん」
 チャーリーは、先ほどアンジェリークが見惚れていた写真を差し出す。すると男のうなりは頂点に達する。
「名前は、アリオス。大富豪。建設業、石油業、航空業、音楽業、コンピューター関連業を手がけている企業家ですわ。結婚はしとらんのですが、たらしで有名で、どこでもすぐ女作りよるから、世界中に恋人だらけですわ。この間なんか、スウェーデンの双子姉妹とナニしてたらしいですわ。毎年この時期になるとパリに来よるから、もう忙しいの何の」
 チャーリーの話に、男は、ますますうなだれる。
「まぁ、アリオスはんのことはこれぐらいにしといて、その日の行動についてですが、奥さんがリッツのスウィート14にやってくるのは午後9時。そこにディナーが運ばれます。だけどアリオスはんと二人ではありまへん」
 男の表情がわずかに明るくなる。
「ジプシーの楽団が入りよって、演奏しまんのや。1曲目は‘ホットパプリカ‘。で、スタンダードなリストなんかを演奏して、最後は‘魅惑のワルツ‘」
 男は再びうなりだす。
「いや、いや、こんな曲ですわ。たりらりら〜」
 チャーリーは、その美声で歌って見せる。
「で、これが終わったらジプシーは引き上げ、ふたっりきりや」 
 男はうなりながら唇をかみ締め、うつむく。
「ショックとは思いますが、結論は急がんほうがええですわ・・・」
 突如、男は何かをふっきったように立ち上がると、スーツから大型の銃を取り出した。
 これには、チャーリーも、アンジェリークも驚愕した。
「おっ、落ち着きなはれ! そんな腕で嫁はん撃っても、あたらへん! 当たっても終身刑や!」
「誰が妻を。私は妻を撃たない。愛してるから」
「せやったら、誰撃つんでんな?」
「撃つのはアリオスに決まってる!」
 男はそういって立ち上がると、机の上にどんと報酬の札束を置くと、事務所の出口へと向かう。
「待ちなはれ!」
 チャーリーは男輪追いかけ出口へと向かう。
「荷物を自宅に送っておいてくれ」
 男は、決意をみなぎらせて出て行った。ほとんど衝動的に。
「あ〜あ」
 チャーリーは、呆然と男の背中を見送った。
「お兄ちゃん!」
 振り向くと、そこには、大きな瞳を不安げに見開いたアンジェリークが立っていた。
「なんや、聞いとったんか・・・」
「・・・ん、どうすんの?」
「どうもできへん・・・。ここから、依頼人の自由やからな」
「そう・・・」
 アンジェリークは何事も内容に振舞ったが、心の中で大きな決意をしていた。
 私が何とかしなくちゃならない・・・。





コメント

1回目ですが、アリオスがぜんぜん出てきません(笑)チャーリーとアンジェの兄弟は書いてて楽しかったです。長くなるかもしれませんがこまめに更新しますから、よろしくお願いします